在宅介護の限界を見極める

母の介護をするようになって、
なぜ、がんばって作った食事をなぜ食べてくれないのか
なぜ、歩く練習をしてくれないのか
なぜ、ちょっと待っててねと何回お願いしても、待ってくれないのか

なぜの繰り返しに疲れ果てた私は、そんな苦しさの中から抜け出すために
ともかくはいろいろな工夫をするようになりました。

気持ちとしては、前向きに取り組んでいたのですが、
いつしか前向きであろうとすることに疲弊している自分に気づきました。

このままではまずい・・・
まずいけれど、どうしたらよいのかがわかりません((+_+))

そのうちに、自分がどんなに努力をしたとしても、どうしようもないことがあるという、
まぁ、考えてみると当たり前の現実に向かい合い続けるうちに、
がんばる以前に自分が「できていなかったこと」に気が付きました。

がんばること自体がまずかったのではありません。
がんばるにあたっての心持ちに冷静さが足りなかったのです。

母を家で看取ると決心をしていた私は、
いつかつきっきりでお世話が必要になる、
つまり、介護に専念しなくてはかなわない、ということを想定できていませんでした。

私の場合、高齢の生徒さんがお母様をご自宅で優しく看取られた過程をお聞きしていたので、
漠然とその生徒さんを目標にしていたところがありました。
愛情があり自分さえあきらめなければなんとかなると思っていたのでした。

けれど、自分がどんなにがんばっても、誰しも「衰えていく」のは、自然なこと。
その衰えに、どこまでどのように付き添えるのかは人によって、
そして、その人の状況によって違っているのですよね。

親の状態や、ご家族や仕事の有無など、状況はまさに一人ひとり違うわけだから、
つらいと感じている中で、自分がつぶれることなく、どこまでやれるのかどうか。

自分がどこまでできるのかの見極めができ、信頼できる施設を見つけたことで、
カラダ的にはきつくても、私は
気持ちがとても楽になりました。

共倒れになってしまうことは、ご自身だけでなく、
親御さんにとっても、ご家族みんなにとって不幸なと思います。
今、在宅介護でつらさを感じている方は、
どうかご介護におけるゴールを今一度、考えてみることをおすすめしたいです。

親御さんがご高齢で、まだ同居はしていないけれど、
将来、どうしようかと不安を感じている方も、
摩耗して冷静な判断ができなくなってしまう前にお考えになってみてください。

人は思いが強ければ強いほど、冷静に見極めるということが難しい。
これは、いろいろなことに通じる普遍的なことと思いますが、
その判断が人生を左右するのも現実だということを私は母から教えられました。
親は、死ぬまで子育てしてくれているようです。

関連記事

  1. 後悔しない介護 いつか自分も介護 するかもされるかも ①

  2. デイサービスの向き不向き